Miura
P400
|
ミウラは「スペインで最高の闘牛」の
こ
とで、P400のPはイタリア語で「POSTERIOR=後方の」の頭文字、400は排気量を意味する。 デザインは、ベルトーネ在籍時代のマルチェロ・
ガンディーニが担当。 350PSのパ
ワーを発揮するV12エンジンを
ミッドに搭載し、最高速度は280km/h。 プロトタイプでは0.8mmだったモノコック部
のスチールパネルの厚さは、生産モデルでは0.9mmになり、さらにシャシーナンバー3312(生産台数125台目)以降は1.0mmに変更されている。
他のタイプとの識別点は、ヘッドライトの縁とウ
インドウフレームがブラックであること。
1966年から1969年までに、P400は
475台(ロードスターを含む)が生産された。 ミウラの総生産台数は765台なのでシリーズ最
多だが、かなりの台数がP400S仕様に変更されている。0-100km/h 6.7秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 350ps/7,000rpm・37.5kg-m/5,100rpm
|
Miura
P400S
|
フェラーリ・デイトナをはじめとする
ラ
イバルたちの登場と北米の規制に対応するため、1969年にエンジンを370PSにパワーアップし、エンジン足回りを強化したP400Sが登場した。
Sはイタリア語で「SPINTO(スピント)=
並はずれた」の頭文字。 カタログには、
最高速度285km/hと記載さ
れている。 インテリアでは、オーバー
ヘッドコンソールとイ
ンパネのデザイン変更、パワーウインドウの標準装備に加え、、エアコンがオプションで設定。 シートは中央がクロス張りとなり、それまでの黒
一色から2トーンになった。 P400と
の識別点は、ヘッドライトの縁とウイ
ンドウフレームがシルバーに変更されていること。 P400Sは、1969年から1971年までに
140台が生産された。 ミウラの中で最
も少ないが、実際にはP400を
P400S仕様にしているクルマが数多く存在する。最高速度285km/h、0-100km/h 4.5秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 370ps/7,500rpm・389Nm/5,500rpm
|
Miura P400SV
|
1971年のジュネーブ・ショーに登
場
した、ミウラの完成型、P400SV。 V
はイタリア語で「VELOCE(ヴェロー
チェ)=速い」の頭文字。 この
P400SVの大きな変更点は、リアサスペ
ンション。 イオタからのフィードバック
により、ロアアーム
の形状がそれまでのAアームから平行四辺形のアームとなっている。 エンジンも385PSにパワーアップし、最高速
度は300km/hと発表された。 認識
点
は、エクステリアではヘッドライトのまつ
毛がなくなったこと、フロントのウインカー/テールランプのデザイン変更、サスペンションの強化によりマッチョになったリアフェンダーなど。
ミウラはトータルで765台生産されたが、
72年までにP400SVは150台。 最
後のミウラ
は、シャシー・ナンバー5113の
シルバーだった。 日本にはかなりの
P400SVが存在するはずだ
が、残念ながらそのほとんどがガレージに仕舞い込まれている。0-100km/h 6.5秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 385ps/7,850rpm・400Nm/5,750rpm
|
Miura P400
Roadster
|
ミウラのロードスター化は1966年
に
計画がスタートし、2年後の1968年1月のブラッセル・ショーにプロトタイプが登場した。シャシーナンバーは3498で、ライトブルーメ
タリックに塗られたスタイルは、一見するとミウラのルーフを切り取っただけに思えるが、実際にはフロント・ウィンドウはより傾斜がきついものに替えられ、
車高もロールバーの位置で30mm低くなっている。量産はされず、ショーの翌年、ニューヨークにあ
るILZROという亜鉛と鉛を取り扱う会社に売却された。会社のイメージ・カーとして、メッキパーツを多様、メタリックゴールデングリーンに塗り替えら
れ、「Zn-75」という名前で世界中のプロモーション活動などに使われた。 一時博物館に展示されていたが、何人かのオー
ナーを経て、現在は日本のあるオーナーが所有しているという。最高速度280km/h、0-100km/h 6.6秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 350ps/7,000rpm・369Nm/5,100rpm
|
Jota
|
当時のランボルギーニのテストトライ
バーだったボブ・ウォレスにより作られたイオタは、正式には「ミウラ・コンペティシオーネ」と呼ばれる。 なぜJotaと呼ばれたのかは、このクルマが
FIAの「国際スポーツ法典附則J項」のレギュレーションに乗っ取って作られたからである。 ただし、イタリア語でJは使わないので、ギリ
シャ文字のIに当たるイオタと発音された。 1969年末から、ミウラのシャシー/エンジン
をベースに製作がスタート。 ボディは補
強され、量産ミウラとはまったく違う
高剛性シャシーに、前後カウル、ドアなど、アルミの叩き出しボディが組まれ、総重量はわずか890kgだった。 サスペンションはアーム類を自作し、コニ製の強
化ショックとスプリングが採用されたが、テスト中に何度も作り替えられたらしい。 エンジンはドライサンプ化され、圧縮比は
11.5まで高められた。 典型的な高回
転型で、ベンチテストでは
440PS/8,500rpmを記録したという。 ミッションはZF製で、ギア比はさらにクロス化
され、デファレンシャルもZF製のセルフロッキングタイプが組まれた。 1971年半ばまでほとんど毎日テストが繰り返
され、ミウラP400SVに貴重なデータを残したミウラ・コンペティシオーネだが、カウンタックLP500の量産型への改良が忙しくなり、工場の片隅へ。
しかし、このクルマの存在を知るマニアッ
クな顧客から、売却の話しが引きも切らなかった。 そして1972年8月2日、レストアされたミウ
ラ・コンペティシオーネはシャシー・ナンバー5084、エンジン・ナンバー20744を与えられ、外装レッド/内装ブラックの新車としてイタリア・ミラノ
のある伯爵の元へと売却された。 だが、
納車2ヵ月後、モンツァのサーキット走行
中に、車体がまっぷたつになるほど大クラッシュ。世界に1台しかない5084は、修復不可能と判
断されスクラップとなった…。ランボルギー
ニではこのオリジナルの
5084以外に、ミウラP400ベースの3781(レーシーなスタイルからSVRと呼ばれ、日本に現存する)、イオタのスペアエンジンを積んだ4860、
ハイチの王が持っていた4990(現在は日本にある)、新車からイオタ仕様だった5090と5100を“公認”としている。
日本をはじめ、世界中に数多くのレプリカが存在
するが、ランボルギーニでは、今でもミウラを持ち込めばイオタにしてくれるという。最高速度320km/h、0-100km/h 3.6秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 440ps/8,500rpm・403Nm/6,500rpm
|
Countach
LP500
|
1971
年
4月のジュネーブ・ショーに登場したプロトタイプで、LPとは「Longitudinale
Posteriore=後方縦置き」を意味する。 1970年から開発がはじまり、ランボルギーニ
社内ではティーポ112と呼ばれていた。 ミ
ウラに続き、マルチェロ・ガンディーニのデザ
インによるスタイルは、量産モデルのLP400と比べると、驚くほどシンプルでクリーン。 鋼版溶接構造のシャシーに、5L
(4,971cc)の試作エンジンを搭載。 LP400量産のためにダクト類などのモディ
ファイを受け走行テストを繰り返した後、シャシー構造が違うにもかかわらず、このティーポ112はクラッシュテストに使われ解体されてしまった。Countachはトリノ地方の方言で驚いたと
きに使う感嘆詞で、“クンタッチ”あるいは“クンタッシ”が正しい。最高速度300km/h。
V型12気筒・DOHC・4,971cc 440ps/7,5000rpm・498Nm/5,000rpm
|
Countach
LP400
|
プロトタ
イ
プのLP500が登場した、3年後の1973年に市販モデルのLP400が完成。 1974年のジュネーブ・ショーで一般公開後、
デリバリーが開始された。 エンジンルーム内
の熱対策で、NACAダクトや
エアインテークが設けられたのが大きな特長。結局、計画の5・エンジンは開発が進まず、ミウラ以来の4・エンジンをチューニングし直して搭載。 最高出力375PS、最高速度316km/hと
発表された。 また、ボディもセ
ミモノコック+スチールから、
スペースフレーム+アルミに変更された。 1978年までに
150台が生産された。
これは、1999台が生産されたカウンタック・
シリーズの中で最も少ない。 なお、
Countachはトリノ地方の方言で驚
いたときに使う感嘆詞で、“クンタッチ”あるいは“クンタッシ”が正しい。0-100km/h 5,6秒。
V型12気筒・DOHC・3,929cc 375ps/8,000rpm・36.8kg-m/5,500rpm
|
Countach
LP400S
|
当時話題
だったウルフ・スペシャルをイメージに、1978年に登場。
ガンディーニによるデザインで、FRP製の前後
オーバー・フェンダーを装着し、ホイールもプロトタイプのブラボーと同タイプに変更・15インチに拡大され、タイヤは超偏平のピレリP7が採用された。エ
ンジンは扱いやすさを重視して、
353PSに若干パワーダウンしているが、最高速度は292km/h。 特徴的だったルーフのペリスコープ(のぞき窓)
は残念ながら廃止され、替わりにオーバーヘッドコンソールが追加されている。 1979年の途中から、ホイールが穴の周りに縁
がないデザインのものに変更され、インパネもリデザインされている。リヤウイングを装着しているクルマが多いが、
実際はオプションで、ビッグとスモールの2タイプがある。 1982年までに235台が生産された。0-100km/h 5.9秒。
V型12気筒・DOHC・3,929cc 353ps/7,500rpm・36.8kg-m/5,500rpm
|
Countach
LP500S
|
創始者
フェ
ルッチオ・ランボルギーニに替わり、パトリック・ミムランが社長になった最初のモデルとして、1982年のジュネーブ・ショーに登場。このモデルで、ようやくカウンタックの目標で
あった5lを達成した。最高出力は
375PSとLP400と同じだが、
最高速度は300km/h。 エ
クステリアはLP400Sとほとんど変わら
ず、エンブレムとドアの形状程度。 イン
テリアは北米の安全基準に従い、スイッチ形
状などが変更され、サイドブレーキが右側に変わった。 正式名称はLP500Sだが、北米向けに
LP5000Sという名称が使用され、エンブレムもそれに準じている。 また、フロントに付けるウイング、キャブに代え
て装着するインジェクションがオプションで用意された。 1982年から1985年に、323台が生産さ
れた。0-100km/h 5,6秒。
V型12気
筒・DOHC・4,754cc 375ps/7,000rpm・302 lbs.ft./4,500rpm
|
Countach
LP5000
QuattroValvole
|
排気量を
拡
大するとともに、4バルブヘッドを採用。455PS
にパワーアップし、最高速度は293km/h。北米モデルは、
途中から排ガス対策用のインジェ
クションエンジンに変更されている。 ヨー
ロッパ仕様ではリアフードの中央にバルジ
(突起)があるが、インジェクションではアニバーサリー同様、左右に張り出しているので識別できる。フロントホイール/タイヤがひとまわり拡大され
たほか、ホイールベースも50mm延長されている。前後フードやフロアにカーボン/ケブラーの複合
素材が採用されたが、1987年の途中からアルミに戻された。1988年から、ブレーキダクト付きのサイドス
カートがオプション設定に。1985年から
1988年に、約610台が生産
された。0-100km/h 4,9秒。
V型12気筒・DOHC・5,167cc 455ps/7,000rpm・
501Nm/5,200rpm
|
Countach
Anniversary
|
ランボル
ギーニ創立25周年の記念限定モデルとして、1988年9月のランボルギーニ・デイで発表された。イタリアでは、“ユービレオ”と呼ばれる。エアロパーツや巨大なリアバンパーなど、クライ
スラー社の傘下になったことによる影響が、エクステリアに現れている。インテリアでは、パワーウインドウとパワーシートを採用、メーターなどのデザインも
一新された。1990年7月に、シルバーに
塗られた最後のカ
ウンタックがラインオフ。デザイナーのマル
チェロ・ガンディーニに贈られ
る予定であったが、彼が辞退したため、ランボルギーニ・ミュージアムに展示されている。当初はディアブロまでのつなぎとして400台を
目標にしていたが、最終的に657台が生産され、カウンタック・シリーズの中でいちばん多い。最高速度295km/h、0-100km/h 5.0秒。
V型12気筒・DOHC・5,167cc 455ps/7,000rpm・
501Nm/5,200rpm
|
Wolf
Countach
|
カナダの
石
油王、ウォルター・ウルフは熱狂的なランボルギーニ・マニアであり、ミウラに替わって登場したカウンタックLP400を真っ先に手に入れた。量産2号車、ボディカラーはホワイトで、ルーフ
にイオタSVR風のウイングを装着し、キャブレターなどにもチューニングが施されていた。しかし、その性能に不満を持っていた彼は、プロトタイプ
LP500の5Lエンジンの存在を知り、当時のチーフであったダラーラに特注モデルの制作を依頼した。それが、シャシーナンバー1120148、レッ
ドのボディカラーのウルフ・カウンタック1号車。5Lエンジンを搭載していることから
“LP500S”と呼ばれたが、後に登場する量産モデルの“LP500S”とは別物。447PS/7,900rpmを発揮するこのエンジンは、その後ブ
ルーの2号車1120202、濃紺の3号車1121210(LP400Sの量産1号車)に移植された。ノーマルエンジンに戻された1号車は、オートロ
マンの手により日本へ輸入され、映画「蘇る金狼」に出演した。現在、1号車は織田無道氏が所有し、2号車はド
イツのロッソ・ビアンコ・コレクションに展示されている。3号車は、ウルフが長年所有していたが、密かに
日本に輸入されているというウワサがある。 |
Countach
LP500R
|
フロン
ト・
スポイラー、リアのオーバーフェンダー、リヤ・ウイングを装着、ホイールもBBSに変更されているが、エンジン/インテリアはノーマルのLP400のま
ま。リヤ・ウイングはウルフタイプのように
真ん中が
突きだしているものではなく、上から見ると長方形。仕上げなどから判断してランボルギーニ社ではなく、おそらく海外あるいは日本で改造されたものだろう。“LP500R”という名は、当時話題だった
LP500Sと呼ばれていたウルフ・スペシャルと区別するために付けられたものと思われる。シャシー・ナンバーは120144で1975年
式だが、シーサイド・モータースの手により1977年に輸入された。シーサイドモータースや名古屋のサンワオートで
よく見かけられ、実際に何人かのオーナーの手に渡ったらしい。しかし、スーパーカーブームが終わり、シーサイ
ド・モータース倒産と同時に、消息不明となる。一時期、クワトロバルボーレの前後オーバーフェ
ンダーとフロント・スポイラーを装着、レッドに塗り替えられていたが、現在はエクステリア/ボディカラーともにオリジナルの状態に戻され、名古屋にある。 |
Countach
L150
|
クライス
ラー社がランボルギーニを買収する以前、パトリック・ミムランの時代から創立25周年記念モデルの開発がスタートしていた。それが、この試作車のL150
であり、デザインしたのはガンディーニではなく、ランボルギーニ社のジュリオ・アルフィエーリ。ベースとなったのは、1986年式クワトロバル
ボーレのインジェクション仕様。 ただ
し、開発当初はキャブレター仕様だった。空
力性能の向上とエクステリア/インテリアの見
直しがテーマで、エンジンは全車にインジェクションを採用する予定だった。リアフェンダーをブリスター化し、右に燃料タン
ク、左にラジエターを配置して、自動開閉式ルーバーで効率をアップ。さらに、一部しか開かなかったサイドウインドウを1枚にし、パワーウインドウを採用す
るなど、さまざまなアイデアが盛り込まれていた。しかし、クライスラー社の意向で廃案になり、北
米のオーナーたちが好みそうなデザインの“アニバーサリー”がランボルギーニ・デイで発表された。このクルマは、シャシーナンバー
「LAMBORGHINI
L150」を刻印され、現在、千葉の某ショップにある。 |
Diablo
|
カウン
タッ
クに次ぐ、ランボルギーニのフラッグシップとして、1991年1月20日にモナコで開催された「ランボルギーニ・デイ2」で発表された。ディアブロは、イタリア語で「悪魔」を意味す
る。開発がスタートしたのは1985年で、デザインはベルトーネ退職後のマルチェロ・ガンディーニ。しかし、クライスラーの意向により、かなりマイ
ルドに修正されたらしい。実際に生産が始
まったのは1990年秋だが、ほ
とんどが1991年モデルとしてだった。5.7・
V12エンジンは、492PSを発揮
し、最高速度は325km/h。初期型は
ダッシュボードが高くなっており、
1992年からはリヤウインカーの配置も変更されている。他のモデルとは、フロントのフォグライトの脇に
エアインテークが設けられていることで見分けられるが、1995年からはVTと同じバンパーになった。生産台数は995台といわれている。
V型12気筒・DOHC・5,703cc 492ps/7,000rpm・59.1kg-m/5,200rpm
|
Diablo
VT
|
ディアブ
ロ
開発当初から予定されていた4WDモデルで、1993年にラインナップに追加された。VTはビスカス・トラクションの意味で、後輪駆
動主体型のフルタイム4WD。2WDの標準
型ディアブロに比べて約50kg重
いが、増加分はフロントに集中し、結果的に前後の重量バランスは向上した。1996年に、リアコンビネーションランプが
SE30タイプのものに変更され、フロントサスペンションに車高調節機構が追加された。フロントのフォグライト下にエアスクープが設け
られているので、2WDのディアブロと見分けられるが、1995年からは同モデルも同じバンパーになったため、リアのエンブレムでしか外見の違いはない。1998年までに、891台が生産された。最高速度328(335)km/h。0-
100km/h 4.09(3.95)秒。
V型12気筒・DOHC・5,707cc 492(530)ps/7,100rpm・59.1(61.7)kg-m/5,500rpm (後期モデル)
|
Diablo
SE
|
創立30
周
年の記念モデルとして、1993年9月の「ランボルギーニ・デイ3」で発表された。150台の限定車だが、実際には197台が生産されたらし。SEは、スペシャル・エディションの意。150kgの軽量化と525PSまでパワーアッ
プされたことにより、最高速度は333km/h。インテリアはカーボンとアルカンタラが組み合わ
され、エクステリアも独自のものとなっている。標準で装備されるリアウイングはそれまでのフ
ラットなものと違い、両端がボディに沿って湾曲しており、中央部分は角度を調整できる。最終期に生産された20台は、可変吸気システム
のコルサ・キットを装着し、590PSを発揮。ディアブロ・イオタ、あるいはSEイオタと呼ば
れている。このモデルは人気が高く、後から
このキットを装
着したクルマも多い。
V型12気筒・DOHC・5,707cc 525ps/7,000rpm・59.1kg-m/5,200rpm
|
Diablo
VT-R
|
1996年、アウディ傘下になる直前の最終モデル。左ハンドル車2台、右ハンドル車1台の3台のみ生産された。5台のオーダーがあったが、アウディは3台目で生産をストップさせ
た。最高速度328km/h。0-100km/h 4.09秒。
V型12気筒・DOHC・5,707cc 492ps/7,100rpm・59.1kg-m/5,500rpm |
Diablo
SV
|
限定生産の
SE30のコンセプトを受け継いだモデルで、1996年に登場。SVは、「スポーツ・ヴェローチェ=スポーツ用
の速いクルマ」の意。装備を簡素化したこ
とで割安感がありながら、最
も高性能であり、シリーズ最大のヒットとなった。1999年モデルからインテリアが一新されるとともに、リトラクタブルヘッドライトが廃止され、固定式の
プロジェクターランプになった。これは、
フェアレディZのものを流用している。エン
ジンルームのふたつのエアスクープ、シング
ルフォグのフロントノーズなどが主な識別点。な
お、サイドのSVの文字と、リアウイングはオ
プションで設定されている。正規輸入モデル
のリアウイングはステーが低く
カッコ悪いので、後から本国仕様の高いものを取り付けるオーナーも多い。生産台数は、273台といわれている。最高速度323(320)km/h。0-100km/h 3.9(3.85)秒。
V型12気筒・DOHC・5,707cc 510(530)ps/7,100rpm・580Nm(61.7kg-m)/5,200(5,500)rpm (後期モデ
ル) |
Diablo
VT Roadster
|
1992年
のジュネーブ・ショーに公開されたプロトタイプをベースに、1995年〜1999年に生産。生産台数は約300台。基本的なコンポーネントはVTがベースになって
おり、最高出力は492PS、最高速度は328(335)km/h。フロントバンパーは、このモデル独自のデザイン
となっているほか、サイドのエアインテークはSE30タイプを採用。着脱可能なカーボン製のルーフは、エンジンフー
ドに固定できる。北米では人気が高かったよ
うだが、日本にはあま
り輸入されず、希少価値のあるモデルといえる。1999年の1年間だけ生産されたモデルもある。0-100km/h 4.09(3.95)秒。
V型12気筒・DOHC・5,707cc 492(530)ps/7,000(7,100)rpm・59.1kg-m(605Nm)/5,200(5,500)rpm (後期モデ
ル)
|
Diablo
Jota SE
|
1995年、おそらくったった12台のみ生産された。最高速度340km/h。0-100km/h 3.9秒、0-1000m 20.1秒。
V型12気筒・
DOHC・5,709cc 595ps/7,300rpm・639Nm/4,800rpm。 |
Diablo
SVR
|
高性能な
SVをベースにした、ワンメイクレース「フィリップ・シャリオール・スーパースポーツ・トロフィー」仕様車。装備は簡素化され、SVよりも約150kg軽く
なっている。リアウイングはカーボン製で、
リヤエンドにはデ
フューザーも装着されている。34台が限定
生産され、1996年から4シーズ
ンに渡って開催された。最高速度330km/h。0-100km/h 3.70秒。
V型12気筒・
DOHC 540ps/7,100rpm・61.0kg-m/5,800rpm |
Diablo
SVS
|
Phillipe Charriol
Trophyシリーズを記念して、わずか30台程生産されたSVR。そのうち何台かはロードモデルとして生産された。その中でわずかに、2、3台だけが、
裕福層の人の注文で生産された。 |
Diablo
SV Roadster
|
1998年の1年間だけヨーロッパで生産された。日本には輸入され
ていない。最高速度323km/h。0-100km/h 3.9秒。
V型12気筒・DOHC・5,709cc 530ps/7,100rpm・605Nm/5,500rpm
|
Diablo
GT2
|
FIA-GT
選手権向けに、1982年に開発された。ディ
アブロSVRをベースに、エンジンを6・に
拡大。可変吸気、チタンコンロッド、専用カ
ムなどで、
640PSを発揮する。エクステリアは、
GTに近い。 |
Diablo
GT
|
FIA-
GT
選手権向けに開発されたGT2をベースに、最強モデルとして1999年7月のジュネーブ・ショーに登場。GT2譲りの6lV12エンジンは575PSを
発揮し、最高速度は338km/hにも達する。スチール製のルーフ/アルミ製のドア以外は、す
べてCFRP(カーボン)で軽量化。オプ
ションのリヤウイングは可変タイプで、中央
部分にリアビューカメラが取り付けられており、後方視界を確保している。サイドウインドウの後部に、シリアルプレートが
取り付けられている。80台限定だが、最終的には83台が生産された。0-100km/h 3.9秒。
V型12気筒・DOHC・5,992cc 575ps/7,300rpm・64.2kg-m/5,500rpm
|
Diablo
GTR
|
1999年
のボローニャ・ショーで公開された、「ディアブロ・スーパートロフィー」というワンメイクレース仕様車。ディアブロGTをベースにしているが、可変リア
ウイングはボディではなく、フレームに直接接合され、リアバンパースポイラーも省略されている。専用のエンジン・マネジメントシステムを採用
し、GTよりも約15PSアップした590PS/7,300rpm、最大トルクは1kgmほどアップした65.4kgm/5,500rpm。重量は、
90kg軽量化して1400kg。インテリ
アもロールケージが張りめぐらされ、
CFRPを多用。当然、エアコンは装備され
ていない。30台が限定生産(最終的には
32台)され、2000
年シーズンに、
ヨーロッパ、アメリカで7レースが開催された。
最高速度338km/h。
V型12気筒・
DOHC・5,992cc 590ps/7,300rpm・640Nm/5,500rpm。 |
Diablo
6.0
|
2000
年
1月のデトロイト・ショーで初公開された。新たに親会社となったアウディの意向がデザイン面に反映され、エクステリアは大きく変わった。フロント/リアともトレッドがワイド化され、モ
ディファイを受けており、マルチェロ・ガンディーニのエンブレムは外されている。駆動系はVTで、GT譲りのエンジンをデチュー
ンして搭載し、最高出力は550PS。ボディパネルは、GT同様、ルーフ/ドアを除いてすべてCFRP(カーボン製)となった。インテリアのデザインも一新されており、シート
のマウント位置も従来より車体中央に移動している。400台以上が生産された。最高速度335km/h。0-100km/h 3.95秒。
V型12気筒・
DOHC・5,992cc 550ps/7,100rpm・63.2kg-m/5,500rpm |
Diablo
Millennium Roadster
|
2000年1月、ミレニアムを記念してデトロイトモーターショウで発表。限定で30台が生産された。最高速度335km/h。0-100km/h 3.95秒。
V型12気筒・
DOHC・5,707cc 530ps/7,100rpm・605Nm/5,500rpm |
Diablo
6.0 SE
|
2001
年
のジュネーブ・ショーで登場した、ディアブロの最終モデル。 基本的なメカニズムは6.0と同じだが、ゴール
ドと茶系の2色の専用カラーをはじめ、インテークマニホールド/エンジンヘッドカバーをマグネシウムに変更。チタン製シフトノブ、専用オーディオの採用な
ど、インテリアも特別なものとなっている。限
定ではないが、リアクォーターにシリアルプ
レートが付く。50台前後が生産されたらし
く、日本には1台が
正規輸入されている。 |
Murcielago
40th Anniversary
|
2003年10
月、アウトモビリ
ランボルギーニは、40周年を記念してムルシエラゴ40周年アニバーサリーモデルを発売した。ランボルギーニの伝統に従い、1988年のCountach
25th Anniversary、1993年のDiablo
SEに続いて限定50台が生産された。外装色は3層パールのVerde
Artemis ヴェルデ・アルテミス(ジェード・グリーン)で、エクステリア・インテリアともに量産ムルシエラゴと大きく異なったフィーチャーがいくつか用意された。まず、ドア上部とリアクォーターウィンドウ
周りの「ヴォレット」は、オプチックカーボンファイバーに。新デザインのエギゾースト・システムとシルバーキャリパーが採用。ホイールリムをGreyAnthracite色に。ホイール中央の新しいロゴマークもランボルギーニの伝
統を忠実に表現。ボディー側面には40周年アニバーサリーロゴの入ったプレート、リアウィンドウの内側にはリミテッド・エディションのシリ
アルナンバー入りのプレートが
それぞれつく。インテリアは、ドライバー側がGrigio
Sirius (ダークグレー)のパーフォレーテッド・レザー、助手席側がスムーズ・ブラックレザー。アクセサリーとして40周年アニバーサリーのロゴ入
りフロアマットとアルパイン社製のラジオ/CDプレイヤーが装備。
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Murcielago
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2001年9月のフランクフルト・ショーで発表された、
ディアブロの後継車。開発コードはL147、ムルシエラゴはスペイン語で「コウモリ」の意。また、1879年にマタドールと名勝負を繰り広げた闘牛の名でもある。ザガートに
よるプロトタイプも製作されたが、結局はアウディのデザインスタジオが担当。リヤのクリーンな印象から分
かるように、コンセプトとなったのはカウンタックLP500。エンジンは6.2・に拡大され、580PS
を発揮し、最高速度は330km/h以上。サイドのエアインテークは車速に応じた可変タイプで、リヤスポ
イラーの役目も果たす。0-100km/h 3.6秒、0-200km/h 111.4秒、0-300km/h 34.2秒。
V型12気筒・DOHC・6,193cc 580ps/7,500rpm・66.3kg-m/5,400rpm |
Murcielago
Roadster
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2004年のジュネーブショーで発表された。レイジング・ブルの家系に新しく加わったこの車は、イタリアの偉大なオープンカー、と
くにランボルギーニの歴史を作ってきた名車からインスピレーションを
受けている。ベースとなったクーペバージョンと同様にパワフルで速く、極限の車であるこのムルシエラゴ・ロードスターは、ランボルギーニの12気筒ロード
スターの伝
統を引き継ぐものだ。それは350GTSに始まり、ミウラ・ロードスター、そして最新のディアブロ・ロードスターに至る。このオープンバージョンはその精
密なデザインにより、優れたハンドリング、加速、そして操縦安全性を実現しています。ランボルギーニの新しい時代は、2001年にムルシエラゴから始ま
り、2003年にはガヤルドの投入、そして、2004年におけるムルシエラゴ・ロード
スターの発表と続く。
V型12気筒・DOHC・6,192cc 580ps/7,500rpm・66.3kg-m/5,400rpm |
Murcielago
R-GT
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2003年、フランク
フルト・モーターショーで発表。「ムルシエラゴR-GT」と名づけられたこのコンペティションカーは、ランボルギーニと、レースのエキスパートである
Reiter
Engineering、及び親会社アウディのスポーツ部門であるAudi Sportの3社共同開発。R-GT は、FIA とACO
のレギュレーションを満たす競争力のある高出力エアリストリクター付6リッターV12 エンジンを搭載。ドライブトレーンは、FIA とACO
のレギュレーションに従ってムルシエラゴの4WD
からリアホイールドライブにコンバートされ、シーケンシャルトランスミッションを搭載。総重量は、このクラスのレギュレーションスペックを満たす
1100kg 。ランボルギーニにとって、80年代後半から90年代初めにかけFー1に参加して以来のモータースポーツ参入となる。
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Gallardo
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ムルシエラゴはディアブロを下敷きにしたモデルだったの
で、このガヤルドがアウディグループ入り後初のブランニューランボルギーニということになる。2シーターのスーパースポーツでムルシエラゴが伝統のV12
エンジンを搭載しているのに対し、ガヤルドにはV10エンジンが与えられた。6MTもしくはeギアと呼ばれるセミオートマチックを組み合わせる。駆動方式
は4WDで、ムルシエラゴと同方式を採用した。いかにもランボルギーニらしいウエッジシェイプは、社内デザイン。ムルシエラゴを描いた同じチーフデザイ
ナーが担当している。最大の特徴はアウディのアルミスペースフレーム技術(ASF)が盛り込まれている点。これにより、従来のランボルギーニでは味わえな
かった強固でしなやかな走行性能を実現した。乗り手を選ばない扱いやすさも新時代を感じさせるもの。街乗りからサーキット走行まで、非常にオールマイティ
な、いかにも現代流の、スーパーカーだ。デビューは2003(H15)年で、その秋には生産車が日本に初上陸している。
90°V型10気筒・DOHC・4,961cc 500ps/7,800rpm・52.0kg-m/4,500rpm |
Gallardo
per Polizia di Stato
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イタリア警察が、初めて
ランボルギーニ・ガヤルドをパトロールカーに採用した。パトロールカー用のカラーに塗装され、ルーフにサイレンと点滅灯を備えたこのスーパーカーは、
2004年5月14〜16日に開催のイタリア警察152周年記念式典に、ローマのポポロ広場において寄贈された。
交通警察が、Salerno-Reggio
Calabriaハイウェイにおいて緊急時に使用することになっている。特殊な訓練を受けた警察官が運転する。また、救急活動にも使用される。
心電図、動脈圧と血中酸素・二酸化炭素量を自動測定することもでき、特別な心房細動除去器を備え、血漿や移植用の臓器輸送にも使われる。医療機器を備え
ているだけでなく、事故状況、火災、その他の災害状況などといった緊急事態に関する情報や画像を受発信する機器も搭載。
この「ランボルギーニ・ポリツィア」とも言えるガヤルドは、GSM小型電話付き衛星ナビゲーションシステム、交通違反を記録してリアルタイムで画像を送
付できるProvidaシステム、警察データベースに直接接続する機能、ナンバープレート検索システム、VHF警察無線などを備えている。
10気筒5リッター、500hpエンジンを搭載し、フルアルミ製ボディを与えられた高性能車ガ
ヤルドは、フルタイム4WDシステムと、ピレリがランボルギーニのために開発した特殊な「Sottozero」スノータイヤを使用するため、荒天時や悪い
路面状況でも使用が可能だ。 |
LM002
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1977年のジュネーブ・ショーで発表されたチータをベー
スにした、パートタイムのオフロード四輪駆動車。中東での軍用を目的に開発され、LMは「ランボルギー
ニ・ミリタリー」の略。カウンタッ
ク・クワトロバルボーレと同じ5.2Lエンジンをデチューンして、フロ
ントに搭載。2.7トンもの重いボ
ディを、210km/hまで引っ張る。キャブとインジェクションがあり、ボンネットのバルジで見分けられる。1986年
から1992年までに、301台が生産された。ゴールドに塗られた最終モデルの12302は、イギリスに
保存されている。0-100km/h 7.8秒。
V型12気筒・DOHC・5,167cc 450ps/6,800rpm・369 lbs.ft./4,500rpm
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Cheetah
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1977年のジュネーブ・ショーで発表された。Mobility
Technology社が1台生産した。エンジンはクライスラーのV8。最高速度167(140)km/h(砂地)。0-100km/h 9.0秒。
V型8気筒・OHC・5,898cc 183(290)ps/4,000rpm・32.0kg-m/3,500rpm (ターボバージョン)
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Cala
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1995年3月のジュネーブ・ショーに展示されたプロト
タ
イプ。デザインはランボルギーニではめずらしいジウジアーロで、タルガトップの2+2。400PSを発揮する、3.9LのV10エンジンを搭載。最高速度289km/h。 |
P140
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1986年に開発がスタートした、ベビー・ランボルギーニ
のプロトタイプ。マルチェロ・ガンディーニによるデザインだが、これは初期のものでリファインされたもの
もある
らしい。 |
Jalpa
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シルエットの後継車として、1981年のジュネーブ・
ショーに登場した。前後バンパーやリアクォーターパネルの形状が変更されているほか、ピレリP7を履いた
ホイール
はOZ製16インチになった。3Lから3.5Lへ排気量はアップしたが、最高出力は255
PSとシルエットよりもわずかにダウン。最大トルクは27.0kgmから32.0kgmへ大幅に向上し、
最高速度は約234km/h。1989年までに410台が生産された。カウンタックのリアウイングを付けているクルマも多い。0-100km/h 6.0秒。
V型8気筒・DOHC・3,485cc 255ps/7,000rpm・32.0kg-m/3,500rpm
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Jalpa Prototye
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シルエットの後継車として、1981年のジュネーブ・
ショーに登場。プロトタイプは後部荷物コンパートメント・カバーへ後部スポイラーを統合した。しかし、この特徴は生産されなかった。シルエtットからは、前後バンパーやリアクォーターパネルの形状が変更されているほか、ピレリP7を履いた
ホイール
はOZ製16インチになった。内装はシルエッタとはまったく違ったものとなった。エエンジンはシルエッタの3L
エンジンがつまれた。このプロトタイプ車はランボルギーニ社に保管されている。 |
Shilhouette
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1976年にウラッコをベースに誕生した、2シーターのデ
タッチャブルモデル。ベースとなったのは、P300。ベルトーネ在籍時代のマルチェロ・ガンディーニによ
るデザイン
で、シルエットという名は当時人気があった世界選手権レース「シルエット・フォーミュラ」に由来する。最
高出力は265PSにパワーアップされ、足回りも強化。あわせてプロトタイプのブラボーのホ
イールと、ワイドなピレリP7タイヤが採用された。オイルショックの影響で、1976年から3年間にわず
か52台しか生産されなかった。日本にも数台が存在するが、見る機会はまれである。最高速度260km/h。0-100km/h 6.5
秒。
V型8気筒・DOHC・2,995.8cc 260ps/7,500rpm・27.0kg-m/5,750rpm
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Bravo
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1974年10月のトリノ・ショーで発表された、ランボル
ギーニ初のV8エンジンを搭載
したショー・モデル。開発ナン
バーは、“スタディ114”。ウラッコ
P300をベースにした2シーター。デザインはベルトーネ在籍時代のマルチェロ・ガンディーニで、リアの
ホイールアーチやエアス
クープをはじめ、全体的にカウンタックを連想
させる。このカ
ンパニューロ製5シリンダータイプのホイール
は、その後に発表されたシルエット、カウン
タックLP400Sに受け継がれた。最高速度275km/h。0-100km/h 7.3秒。
V型8気筒・DOHC・2,995.8cc 300ps/7,800rpm・235
lbs.ft./4,000rpm |
Urraco P200
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1975年に、
イタリ
ア国内専用モデルとして182PSのP200が追加された。生産台数は66台。最高速度215km/h。0-100km/h 7.2
秒。
V型8気筒・OHC・1,994cc 182ps/7,500rpm・130 lbs.ft./3,800rpm
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Urraco P300
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1974年に、DOHC化し250PSにアップしたハイパワー・バージョン。ボンネットのスリットがルーバー状にたくさんあるが、P250とP200は大き
く2
つ開いていることで識別できる。生産台数は1979年までに190台。最高速度260km/h。0-100km/h 5.6
秒。
V型8気筒・DOHC・2,995.8cc 250
(260)ps/7,500rpm・195
lbs.ft.(201 lbs.ft.)/3,500rpm (1976年以降モデル)
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Urraco Racing
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1973年、イオタ、ハラマ・レーシングに続き、当時のラ
ンボルギーニ・テストドライバー、ボブ・ウォレスが製作したテストカー。通称、「BOB」と呼ばれている。P250
をベースに、エンジンをドライサンプ化し、3Lにスケールアップ。4バルブDOHCで、
310PS/8,000rpmを発揮した。フロント・スポイラーにオイル
クーラーを内蔵し、オリジナル・イオタと同じ、マグネシウムの鍛造ホイールを履いている。一時期、リアに
ウイングを装着していたときもあった。かつてはレバノンのコレクターが所有していたが、現在は日本にあ
る。 |
Urraco P250
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リトル・ランボルギーニとして、1969年にその開発がス
タートし、1970年のトリノ・ショーで発表された2+2のミッドシップ。デザインはベルトーネ在籍時代
のマルチェロ・ガンディーニで、インテリアの処理もかなり手が込
んでいる。実際に生産が始まったのは1973年から。P250
はSOHCのV8エンジンを搭載し、最高出力は220PS、最高速度は
240km/h。1976年に
はP250の生産は中止
されてしまう。生産台数は
520台。最高速度240(225)km/h。0-100km/h 6.9秒。
V型8気筒・OHC・2,463cc 220
(180)
ps/7,500rpm・166 lbs.ft.(144
lbs.ft.)/5,750rpm (アメリカ仕様)
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Urraco prototyes
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リトル・ランボルギーニとして、1969年にその開発がス
タートし、1970年のトリノ・ショーで発表された2+2のミッドシップ。デザインはベルトーネ在籍時代
のマルチェロ・ガンディーニで、インテリアの処理もかなり手が込
んでいる。実際に生産が始まったのは1973年から。はじめ、2台のプロとタイプが設計されたが、奇妙な
ヘッドライトのデザインであった。3台目のプロとタイプをさらに作り、ポップアップ式のヘッドライトがとりいれられ、後のウラッコへと進化する。はじめの
プロトタイプは後に、まさにウラッコのライバルとなる、フェラーリ308GTBディーノとなった。 |
Espada
400 GTE
Serise 3
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1973年にはクライスラー製3速AT、ガラス・サンルーフがオプション設定
されたほか、メーターまわりも変更された。2年後に、アメリカの安全基準に対応して5マイルバンパーが装着された。生産台数は1972年から1978年に
456台が作られた。最高速度
250km/h。0-100km/h 6.6秒。
V型12気
筒・DOHC・3,939cc 350ps/7,500rpm・394Nm/5,500rpm |
Espada
400 GTE
Series 2
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1969年に350PSにパワーアップしたシリーズ2が
登場。外見の違いは、ホイールがセンターロックから5穴に、リアパネルの縦のフィンが廃止されガラス
が剥き出しになっている。生産台数は1969年から1972年に575台。最高速度260km/h。0-
100km/h 6.6秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 350ps/7,500rpm・394Nm/5,500rpm
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Espada 400 GT
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1968年のロンドン・
ショーで発表された、初のフル4シーター・グランツーモリス
ト。エスパーダとは「闘牛士の持つ剣」のことで、ベルトーネ在籍時代のマルチェロ・ガンディーニが
デザイン。インテリアは豪華で、小型TVやミニバーを装備したVIP仕様もあった。325PSのエンジンを積んでいた。生産台数は1968年から1970年に186
台。最高速度245km/h。0-100km/h 6.5秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 325
(340)ps/6,500(7,000)rpm・375Nm/4,500rpm (後期
モデル)
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Marzal
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1967年のジュネーブ・ショーで発表されたプロトタイプ
で、エスパーダのルーツといえる。デザインは、ベルトーネ在籍時代のマルチェロ・ガンディーニ。ミウラのシャシーを延長し、V12の片バンクを使用した2L直列6気筒エンジンをリアに搭載す
る。デザインは、ベルトーネ在籍時代のマルチェロ・ガンディーニ。現在もベルトーネ社に保管されている。最高速度225km/h。
直列6気筒・DOHC・1,997cc 175ps/6,800rpm・132 lbs.ft./4,600rpm
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Jarama 'BOB'
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イオタやウラッコBOBと違い、ハラマ400GTSの量産
車両をベースに1973年に製作された。エンジンをドライサンプ化し、最高出力は400PS以上。さら
に、エンジンを後退させて前後の
重量配分を改善したほか、約1,000kgに軽量化した。シャシーナンバーは10350で、現在もイギリ
スにある。また、これをお手本にしたハラマ400GTSスペシャルが、ランボルギーニ・ミュージアムに展
示されている。 |
Jarama 400 GTS
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1972年に、365PSにパワーアップ、最高速度
260km/hとなり、登場。ボンネットにエアスクープ、サイドのエアインテークが追
加され、ホイールもセンターロッ
クから5穴式に変更されている。フェルッチオが最も気に入っていたランボルギーニだ。1976年までに
150台が生産された。0-100k/h 6.8秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 365ps/7,500rpm・407Nm/5,500rpm
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Jarama 400 GT
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ハラマ400GTは、イスレロの後継車として、1970年3月のジュネーブ・ショーで発表された。ハラマは、スペインにある有名なサーキットの名前。2+2のグラ
ンツーリスモで、350PSを
発揮するV12エンジンをフロントに搭載し、最高速度は260km/h。ヘッドライトは上部がカバーされ
ているが、点灯時には下にスライドする。1972年までに177台が生産された。0-100k/h 6.8秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 350ps/7,700rpm・349Nm/5,500rpm
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Islero 400 GTS
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Isrero400GT発表の翌年1969年登場。V12エンジ
ンは320PSを発揮し、最高速度は260km/h。エンジンフード上にエアスクープ、
フォグランプ、前輪後ろにエア
スクープが追加されている。ランボルギーニ社内によるデザインは不評で、デビューから2年の短命に終わっ
た。生産台数は100台。0-100k/h 6.2秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 350ps/7,700rpm・393Nm/5,500rpm
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Islero 400 GT
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400GT
2+2の後継モデルとして、1968年のジュネーブ・ショーで登場したイスレロ400GT。V12エンジ
ンは320PSを発揮し、最高速度は265km/h。最高速度は260km/h。ランボルギーニ社内によるデザインは不評で、69年に製造は終わった。400GTが125台製造された。0-100k/h 6.2
秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 320
(340)ps/6,500(7,000)rpm・375(393)Nm/4,500(5,500)rpm
(後期モデル)
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400 GT 2+2
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350GTの北米輸出用モデルとして、1966年のジュ
ネーブ・ショーに登場した。エンジンのパワーアップ、2+2のシートレイアウト、丸形4灯のヘッドライト
が主な変更点。ボディ素材がアルミからスチールへ変更され重量は増えたが、最高出力は320PS、最高速
度は
270km/h。1966年から1968年までに224台が生産された。また、このクルマをベースに、いくつかのプロトタイプが作られた。0-100km/h 6.8秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 320ps/6,500rpm・375Nm/4,500rpm
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400 GT
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350GTの北米輸出用モデルとして、1966年のジュ
ネーブ・ショーに登場した。67年までに23台が生産された。最高出力は320PS、最高速
度は
250km/h。また、このクルマをベースに、いくつかのプロトタイプが作られた。0-100km/h
7.5秒。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 320ps/6,500rpm・
375Nm/4,500rpm
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3500 GTZ
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1965年10月、ロンドンオートショーで発表。2台が生産された。最高出力は320PS、最高速
度は
260km/h。
V型12気筒・DOHC・3,939cc 320ps/6,500rpm・
375Nm/4,500rpm |
350 GTS
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1965年、2シーターの
スパイダーが2台作られた。最高速度250km/h。
V型12気筒・DOHC・3,464cc 320ps/7,000rpm・308Nm/4,700rpm |
350 GT
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1964年のジュネーブ・ショーで発表された、ランボル
ギーニ初の市販車。350GTVを大幅にリファインしたモデルで、リアに1シートを持つ2+1という独特
のレイア
ウトを持つ。3,464ccのV12気筒エンジンは320PSを発揮し、最高速度は250km/h。後期型はフロント・バンパーが左右二分割になり、グリルもメッシュから2本の横バーを基本とし
たものに変更されている。1964年4月から生産が始まり、1966年までに120台が生産された。そのうちの23台は、オプションの4Lエンジン搭載車だった。また、2シーターの
スパイダーが2台の350GTS、ザガートが手掛けた350GTZが、それ
ぞれ2台ずつ作られた。0-100km/h 6.8秒。
V型12気
筒・DOHC・3,464cc 320ps/7,000rpm・325Nm/4,500rpm
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350 GTV
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1963年10月30日のトリノ・ショーで発表された、ラ
ンボルギーニ初の生産車のプロトタイプ。3.5・V12エンジンは、フェラーリより早くDOHCを採用し
ていた。ベルトーネから独立したスカリオーネによるデザインで、トランクリッドにはフェルッチオのサイ
ンを形取ったエンブレムが付く。フェルッチオ自身はあまり気に入らないようで、けっきょく量産はされな
かった。長い間、工場の片隅で朽ち果てていたが、1990年からレストアされ5年がかりで完成。1992年には日本のイベントに登場し、現在も日本にある。最高速度280km/h。
V型12気
筒・DOHC・3,464cc 360ps/8,000rpm・326Nm/6,000rpm
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